9月22日(木)⑤シャクシャイン法要祭(北海道新ひだか町)

当日は朝の8時に札幌駅前のターミナルから出る高速バスに乗って最寄駅の静内駅に向かいます。同じ道内といっても駅間は約140km離れてるため2時間ほど乗っていましたが、道中の窓から見える平原や太平洋はとてもきれいでした。体調はだいぶよくなっていましたが若干だるさは残っていました。

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静内駅に着いたのは10時半頃でした。ひだか町の町中は静かで人気はあまりないですが交通量は多く、車はたくさん走っていました。この辺りは住宅と公共機関の距離があるほか、冬になれば雪が多く積もるので町民は主に車で移動することが多いらしいです。

駅からの道中は太平洋に面した大きな橋を渡り、熊や鹿も出没するらしい山道の横道に入っていき20分かけて豊年祭が行われる真歌公園まで歩いて行きました。

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静内はシャクシャインの戦いの最後の砦として戦った地とされており、ここ真歌公園にはシャクシャイン像のほかにシャクシャイン記念館、アイヌ民族資料館、シベリチャシという砦跡もありまさにシャクシャインゆかりの地なのです。

 

到着した頃にはすでにアペカムイという開会式のようなものは終わっており、シャクシャイン像の前では最初のカムイノミ(アイヌの人々にとってかかせない伝統的な神に祈りを伝えるための儀式)が始まっていました。アイヌの衣装を着た人のほかに政治家の人もたくさん集まっていて思っていたより大きな行事のようです。鈴木宗男がいました。

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その後ハルランナと呼ばれる餅まきが行われ、参加者全員でまかれる餅をひろいました。この餅は記念館の管理人さんが毎年ついているものらしいです。遠野祭りでも餅まきは行われていましたが全国的におめでたい日は餅をまく文化があるようです。

 

昼食は、現地で採れた鮭を串焼きにするマチェプというものと同じく鮭の入った鮭汁をいただきました。マチェプはとても大きな切り身でしたが値段は300円ほどととても安かったです。もちろん味も最高でした。

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午後からはカムイノミの他に先祖供養のための儀式イチャルパ、ポロリムセという輪踊りが行われましたが、そのアイヌ独特の様式に驚かされるばかりでした。特にポロリムセは老若男女問わず歌いながら輪になり、時折獣のような独特の発声をしながら踊るその様は今まで訪れたどの祭りにもない雰囲気を感じました。

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最後はおまちかね(?)の芸能交流が広場で行われました。この法要祭での芸能交流は、道内各地のアイヌ芸能の保存団体が一同に介する他の祭事ではないイベントらしく、これを見るだけでアイヌの芸能をある程度網羅できるとのことです。

芸能は先ほど見たポロリムセのような輪踊りに似たものから昔の戦士の衣装のようなものを着て戦う様を表現した舞踊まで様々なものがありました。おそらく豊作を祈願するもや和人との戦いを語り継いでいるものなのだと思われます。そしてそれらの芸能の全てで統一していた要素は伴奏がすべて歌と手拍子のみということでした。もともとアイヌの芸能は楽器を使うことは少なく、ほとんどを口から発せられる音で表現するのだそうです。たしかにそのせいで野性的というかより自然や動物に近い人々であることが感じられます。

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芸能は日の入りの直後まで続いたようですが札幌までの最終バスが17時頃と早く私は途中でおいとましました。帰り際に近くにいたカムイノミや芸能交流に参加されていたアイヌ民族の末裔の方に話を伺いました。この法要祭をとり行う側の人々はすべてアイヌの末裔であることや祭事中に着ているアイヌ文様の衣装は代々受け継がれているものであることなどの他にアイヌに関する様々なことを短い時間でしたがいくつか教えていただけました。

 

しかし話をちゃんと聞きすぎてしまい、時間がかなりぎりぎりになってました。帰路は全力で走ってなんとか最終のバスに飛び乗ることができ無事札幌まで帰ることができました。そのまま夜の飛行機で東京に帰るために千歳空港へ向かいました。

思えば今までの再訪の中で北海道が一番長く滞在したものでしたが、その広さも相まって事前調査で行きたいところはいくつか目星をつけていてもまったく回れませんでしたね。本当は阿寒湖にあるイコロという場所などにも行きたかったのですが遠すぎました..。また帰ってから話をもとに色々歴史などを調べてみるとまた行きところが増え、次回はもっと計画と余裕、あと万全の体制を整えて訪れたいと思います。

 

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