8月19日(金)②花輪ばやし(秋田県鹿角花輪)
花輪ばやしは、土地の守り神「産土神(うぶすな)さん」として古くから地域の信仰を集める、幸(さきわい)稲荷神社の祭礼において奉納される祭礼ばやしです。
1960年からは、花輪神明社の祭礼が幸稲荷神社の祭礼と同じ日に合わせて行われるようになり、里の神(花輪神明社)が山からの神(幸稲荷神社)を迎えるという新たな祭りの意味が生まれました。
鹿角市の代表的な民俗芸能であり、1978年2月14日、秋田県無形民俗文化財に指定され、さらに2014年3月10日には「花輪祭の屋台行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
○本屋台ばやし(ほんやたいばやし)
行進曲風で、昔、軍の士気を鼓舞するために作曲されたものでないかと言われ、伝承曲の中でも一番に親しまれた曲で、花輪ばやしと言えばこの曲と言われる程、代表的な曲。
○二本滝 (にほんだき)
渓流が岩にせかれて二条となり、段々と落ちる滝の風情を表している。二条の滝が一つになり滝壷に入るところを結びとしてあり、その間で笛と太鼓が掛け合いになっている、珍しい手法を取りいれた曲。
○霧ばやし(きりばやし)
朝霧にけむる野山を表現したこの曲は、朝詰めの帰途に多く演奏されることから「下りばやし」とも呼ばれる。、現在は1/2の歩行調子で演奏されるが、元々はテンポが緩やかな曲。
○宇現響 (うげんきょう)
仏教の無量寿経に説かれている浄土の空には、様々な楽器が飛遊し奏でる人がいないのに妙音を発している様を表した曲。浄土教が盛んだった平安朝の頃の曲と言われている・
○羯鼓 (かっこ)
「羯鼓」とは雅楽に用いられるつづみのような打楽器で、もともと中国で軍事用に使われていた。太鼓の打ち方によって、笛の妙味一層引き立つように組み合わされた曲。
○祇園(ぎおん)
インドの南方にあったという釈尊と弟子の僧方「祇園精舎」を讃えた格調の高い曲。
○追込 (おいこみ)
2曲とも幕末頃当地で作曲されたと言われる曲で、「追込」と言う曲名は方々の祭囃子の中に見られますが、当地の曲はその中のどれにも似ておらず、曲名だけを取り入れたといわれる曲。
○不二田 (ふじた)
サギリ 幕末に加えられた囃子の中で異色な曲で、花輪ばやしの曲の大半が笛で始まり笛で終わるが、この曲だけは鉦(ドラ)で始まり鉦で終わる。
○矢車 (やぐるま)
中京地方の曲を移入したものと言われ、曲の表現が違うことから地元の曲とも言われている。
○拳ばやし(けんばやし)
○吉原格子(よしわらごうし
日が暮れ練り歩きが一通り終わると小学生が主に参加する十町内対抗の「子供はやしコンクール」がはじまりました。この地域の子供は幼少の頃より学校で太鼓や笛や三味線などを学校で習うようです。
コンクールが終了すると屋台はいよいよ列になって駅前に向かいます。その道中でも見事な囃子が披露されていました。
屋台の列を追って駅前に着くと、駅前は到着した時とは比べ物にならないほどの人で埋め尽くされていました。屋台が入場するたびに大きな歓声があがり、すべての屋台が出揃った時の盛り上がりははまさにお祭りのピークにふさわしい光景でした。
屋台同士の囃子の競演がしばらく行われた後、先ほどの「子供はやしコンクール」の審査結果が発表され、その後サンサが披露され、屋台の退場となります。(退場の際にも退場曲が披露されます。)屋台は一旦各町内に戻りますがその道中でも踊りのついたパレードが行われていました。
この後午前0時からの朝詰、桝形行事という夜通しの行事があるためそれまでお祭りは休憩となります。次の日も昼には町内自主行事、赤鳥居詰、郷土芸能の披露などまだまだ催しは続きすべが終わるのは21日の明朝とのことです。できれば全部見たかったのですが私は明日の予定もあるためここでおいとましました。
今回は花輪ばやし本部のこのお祭りに60年以上欠かさず参加されているという海沼さんという方にお話を伺いました。(方言が強い方だったので回答はちょっと直しています。)
Q.このお祭りの特徴はどこだと思われますか?
ーお囃子の祭りだということですね。屋台行事の中の花輪ばやしだから。
パレードの中のお囃子はみんな一緒。で、町内ごとに奉納曲っていうのがあるのよ。
これは10町内みんな違う囃子をたたくのよ。この祭りは囃子がいっぱいあるので祇園とはまた違うところね。どこで披露するかは色々あるんだけどね。
Q.昔と今で変わったことはありますか?
ーやっぱり小さい子供が減ってるっていうことですね。大学生とかになるとなんとか戻ってくるんだけど、中学生とか高校生になるとばらばら散っていってしまうんです。でもやっぱり花輪ばやしには戻ってくる。義務教育みたいにお囃子は小さい頃(小中学校)から教えますからね。今日もお昼には小中学校のパレードがありました。そういうのもやってます。
Q.お囃子は結構長い期間準備されるんですか?
ーそうですね、もう6月くらいからは準備が始まります。
Q.他のお祭りでは県外からの参加者もいるみたいですがこの花輪ばやしはどうですか?
ーこの花輪ばやしも最近では県外の人も入れるようにしています。やっぱりみんなで楽しもうっていうのがあるので。くる人も自分から参加したいっていう気持ちが強いので体で覚えてくる人ばっかりですね。
Q.観光として役割は強いと感じますか?
ーやっぱり国の指定(国の重要無形民俗文化財に指定)になりましたのでね。駅前は特に観光のためにやっていますね、元々はなかったんですよ。20年くらい前からかな。昔は駅前には集まることはなくってこの通りだけだったんですよ。要するにここ(通り沿いの花輪神明社と幸稲荷神社)に神様を安置してるわけですから。だから駅前で待ってる人たちはこのパレードを見れないわけね、これがメインなのに。パレードについていけば各神社に拝んだり、各町内でお酒をいただいたりっていうのがちゃんと見れますよ。
Q.最後に、三味線や笛はベテランの方がやっているみたいですが次の世代にはどのように受け継がれているのですか?
ーこの地域では三味線や笛も小学校から教えているんですよ。そうしないと伝承されていかないから。そしてある程度おおきくなると芸人さんとしてその役を任されるように、舞台の上に上がるようになるんですね。
貴重なお話ありがとうございました。
全体的な感想としては、第一印象としては規模というか雰囲気が人がたくさんいて街中を屋台が練り歩くところが地元(京都)の祇園祭に似ているなと思いました。しかし話を聞いたり屋台を追っていくうちにこの地域の独特な雰囲気や熱を感じることができ観光としての要素はもちろんありますが古くから根付いてる地域性のようなものも短い時間でも十分感じることができました。おそらくそこら中から聞こえてくる秋田弁でのローカルトークやあまり変化を感じない街並みが初めてきた私にもそれを感じさせているのだと思います。
明日は遠野です。
8月18日(木)①西馬音内盆踊り(秋田県羽後町)
西馬音内(にしもない)盆踊りは毎年8月16〜18日のお盆休みの時期に催される盆祭りです。正応年間(1288年〜1293年)頃から豊年祈願として始まったと伝えられており、以来700年以上の歴史を有し、昭和56年、盆踊りとしては全国で初めて国の重要無形民俗文化財に指定された秋田県でもかなり品位のあるらしいお祭りです。
全国的に見れば有名な盆踊りは他にも数多くありますが、次の日から同県鹿角市内で行われる「花輪ばやし」も同時に見たかったので今回秋田県を訪れた経緯があります。
会場へのアクセス…最寄り駅の湯沢駅から路線バス、またはタクシーで15〜20分の場所にある西馬音内町内で開催。
昼前に東京駅を出発し宿泊場所の横手駅についたのは17時でした(横手駅は湯沢駅から20分ほどの駅です)。駅から徒歩15分ほどのビジネスホテルにチェックインしそこから支度を整えて会場に到着したのはなんと20時前...。なぜこれほど時間がかかったのかというと事前調査不足で電車がくる間隔を見誤り横手駅で40分ほど足止めを食らったことが要因です...。湯沢駅からの路線バスもすでになくなっておりタクシーでも20分ほどかかりました。西馬音内町までの道は信号がほとんどない、まさに田舎道で本当にこんなところで有名な盆踊りがやっているのかと疑念をいだきながら会場に向かいました。タクシー運転手の方によると昔は西馬音内まで路面電車が走っていて風情があったが、道路開発によりなくなってしまったとのこと。
タクシーを降りた場所は会場から少し離れた場所でしたが、電柱ごとにくくられたスピーカーから町内中にお囃子が流されており、地域のお祭り感がすで醸し出されていました。盆踊りの会場までの道中もレトロな街並みが連なり哀愁がありました。
メインロードにはすでにたくさんの見物人で埋め尽くされておりこんなに駅から離れたお世辞にもアクセスがいいとはいえない(失礼ながら)辺鄙な場所によく集まったなとその集客力にまず驚かされました。
参考にしてる書籍によると人口1万6000人の町に毎年10万人以上の集客があるとのことです。
メインロードで伝統の「亡者踊り」を踊っているのは女性と子供が主で、ほとんどの人が被り物(編み笠)や頭巾(彦三頭巾)などで顔を隠しておりその姿はまさに亡者のようです。しかしその踊りは「最も美しい盆踊りの一つ」と言われるのも頷けるほど優美かつ哀愁の漂うものでした。また、まとっている端縫いの衣装は代々着物の切れ端を縫い合わせたものであるとのことでそれも美しかったです。
ちなみに編み笠を被っているのが成人女性、彦三(ひこさ)頭巾をかぶっているのが未成年の女性であるという決まりがあるようです。
踊りのお囃子には「音頭」と「がんけ」があり「音頭」は踊り手の妖しい風貌とは正反対のかなり陽気なリズムです。「がんけ」は逆に哀愁の漂うリズムで「音頭」と交互に踊るようですが、初見ではちゃんと見て聞かないとその違いがわからないと思います。「音頭」は「フウー、サガサッサ」「あ〜どっこいな」「あ〜それそれ」が主な節で、歌の内容は支離滅裂かつへんてこな歌詞(即興だったりするらしい)で連ねられており、時にはかなり下世話な内容の時もありましたがその度に会場の笑いを誘っていました。個人的に歌い手によっては明らかに笑わせようという歌い方してる節があるところが最高だなと思いました。
踊りを一通り見た後に櫓の前でこの地で昭和八年から80年の間店を構えてる菅粂商店の店主の方に話を伺いました。
Q.地域の人にとってこのお祭りのいいところはどこだと思われますか?
ーやっぱり地域の人がこの3日間は一体となって祭りを盛り上げているところだと思います。でもまあ国の重要無形文化財に登録されてからは人出も多くなって県外から見にくる人もかなり増えましたね。形式にしても僕が子供の頃(1970年頃?)なんかは服装なんて決まってなくてお酒飲みながら踊って疲れたら休んでまた踊ってってかんじでかなり自由でした。今は有料席なんかが設けられてるけどお客さんも地べたに座ったりなんかして。
Q.やはり観光資源としての色合いが強まっていると感じますか?
ーそうですね、それは強く感じます。15年くらい前に久米宏さんのやってたニュース番組で生放送された時なんかがピークでしたね、今はこれでもかなり落ち着いていますよ。僕らにしても地域のお祭りとしてはもちろんだけど観光としての意識はやっぱりあって今のカタを大事にしてるところはある。昔は上手い人の踊りを見て体に覚えさせていたんだけど今は幼稚園から教えたりして。
あと、県外から踊りに参加する人も増えていますね。今だとyoutubeとかで踊りの動画があがっているのでそれを見て覚えてくる人とか大学の踊りのサークルがバスを貸し切って参加する人達なんかもいたりします。地域の「踊りの輪」に色んな人が入ってきているかんじですね。
まあ「地域」と「観光」のバランスは有名な祭りであればどこも抱えていることだと思いますよ。僕は「観光」の方が強くなっていると思いますけどね(笑)
Q.踊りの後継者不足の問題などはありますか?囃子はベテランの方達に見えますが。
ーそれは実はないんですね、ありがたいことに。上手く受け継がれていると思います。
囃子は確かにベテランの人がやってるんですけど実は太鼓を叩いてるのは若い男の子だったりします。嫁入りなんかで県外に出ていってもこの祭りの時期だけは戻ってきて踊ったりね。やっぱり有名なだけあってしばらくはまだ大丈夫なんじゃないかと思いますね。
貴重なお話ありがとうございました。
帰りはここの店主の方に紹介してもらった江戸時代から続くこの地で一番の老舗である「弥助そばや」で蕎麦を食べて帰りました。美味しかったです。
全体の感想としては地域的な側面と観光資源としての側面のバランスがとてもいい祭であると感じました。重要無形文化財の名に恥じない格式を守りつつ地域の人も観光客も気を抜いて楽しめていて初めて来た自分でも緊張せず堪能することができました。観光客目当てガツガツした感じやまたその地域の内輪的な堅苦しさもなく誰もが祭りの輪の中に入っていける安心感のようなものがこの西馬音内盆踊りの一番の魅力だと思いました。
余談ですがタクシー運転手の方々が皆さん気さくな秋田弁を話すとてもいい人達で 秋田にとてもいい印象を持ちました。実はこういうところに一番風土を感じられるのかも知れません。