8月19日(金)②花輪ばやし(秋田県鹿角花輪)

花輪ばやしは、土地の守り神「産土神(うぶすな)さん」として古くから地域の信仰を集める、幸(さきわい)稲荷神社の祭礼において奉納される祭礼ばやしです。

1960年からは、花輪神明社の祭礼が幸稲荷神社の祭礼と同じ日に合わせて行われるようになり、里の神(花輪神明社)が山からの神(幸稲荷神社)を迎えるという新たな祭りの意味が生まれました。

鹿角市の代表的な民俗芸能であり、1978年2月14日秋田県無形民俗文化財に指定され、さらに2014年3月10日には「花輪祭の屋台行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 
朝9時頃横手駅を出発し、14時頃宿泊先の宿がある大滝温泉駅(開催場所の鹿角花輪駅から電車で30分くらいの駅)に到着しました。この駅の町はまさに田舎そのものでコンビニなどの施設は皆無でした。電車も2時間に一本くらいしかないです。支度を整えて鹿角花輪には少し早めの17時すぎに着きました。
 
まず駅を出てすぐに規模の大きい祭りであることがわかりました。駅前におおがかりな客席が設けられており、準備も大人数で入念にやっていて前日に参加した西馬音内の盆踊りよりも一回りほど大きいという印象を受けました。出店もたくさん出ていてまさにお祭りという雰囲気。
この花輪ばやしというお祭りはこの地域一帯にとって1年で一番大切な行事で、十の町の町民がそれぞれの町の屋台を担いでこの2日間ほぼ休まず町内を練り歩きます。
まず駅から少し離れた御旅所詰めから屋台は出発しメインロードをしばらく順番に繰り返し折り返し練り歩き、ピークの時間帯(20〜21時頃)がくると駅前に全ての屋台が集合し掛け合いやサンサなどをやってとりあえず打ち上げという流れを1日目に行います。なので駅前にいればいわゆるお祭りらしい雰囲気を大まかに感じることができるというかんじで団体やツアーで観光に来る人などは大体この駅前の客席を押さえてることが多いらしいです。

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 しかし今回は取材に来てるわけなので御旅所詰めの出発から順番に十の屋台を追っていきます。この祭りはその名の通り「囃子(はやし)」がメイン、見所で、十の町ごとがそれぞれの囃子を持っており、合計12の囃子を期間中に披露します。
囃子は三味線、笛、太鼓、摺り鉦という構成で演奏され、大人と子供が入り混じりメロディーを大人が、打楽器を子供がやるというのが主のようです。
囃子の音構成としてはよくあるものなので、前回同様、正直初見では同じように聞こえます…。しかしずっと聴いている内に違いがわかるようになっていき、おしゃれな囃子から力強い囃子、テクニカルな囃子などバリエーションがあり楽しく確かに一番の見所といえるものでした。
 
一応囃子の種類をあげておきます。(公式HPより)
 

○本屋台ばやし(ほんやたいばやし)

 行進曲風で、昔、軍の士気を鼓舞するために作曲されたものでないかと言われ、伝承曲の中でも一番に親しまれた曲で、花輪ばやしと言えばこの曲と言われる程、代表的な曲。

○二本滝 (にほんだき)

 渓流が岩にせかれて二条となり、段々と落ちる滝の風情を表している。二条の滝が一つになり滝壷に入るところを結びとしてあり、その間で笛と太鼓が掛け合いになっている、珍しい手法を取りいれた曲。

○霧ばやし(きりばやし)

 朝霧にけむる野山を表現したこの曲は、朝詰めの帰途に多く演奏されることから「下りばやし」とも呼ばれる。、現在は1/2の歩行調子で演奏されるが、元々はテンポが緩やかな曲。

○宇現響 (うげんきょう)

 仏教無量寿経に説かれている浄土の空には、様々な楽器が飛遊し奏でる人がいないのに妙音を発している様を表した曲。浄土教が盛んだった平安朝の頃の曲と言われている・

羯鼓 (かっこ)

 「羯鼓」とは雅楽に用いられるつづみのような打楽器で、もともと中国で軍事用に使われていた。太鼓の打ち方によって、笛の妙味一層引き立つように組み合わされた曲。

祇園(ぎおん)

 インドの南方にあったという釈尊と弟子の僧方「祇園精舎」を讃えた格調の高い曲。

○追込 (おいこみ)

 2曲とも幕末頃当地で作曲されたと言われる曲で、「追込」と言う曲名は方々の祭囃子の中に見られますが、当地の曲はその中のどれにも似ておらず、曲名だけを取り入れたといわれる曲。

○不二田 (ふじた)

サギリ 幕末に加えられた囃子の中で異色な曲で、花輪ばやしの曲の大半が笛で始まり笛で終わるが、この曲だけは鉦(ドラ)で始まり鉦で終わる。

○矢車 (やぐるま)

 中京地方の曲を移入したものと言われ、曲の表現が違うことから地元の曲とも言われている。

○拳ばやし(けんばやし)

○吉原格子(よしわらごうし

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日が暮れ練り歩きが一通り終わると小学生が主に参加する十町内対抗の「子供はやしコンクール」がはじまりました。この地域の子供は幼少の頃より学校で太鼓や笛や三味線などを学校で習うようです。

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 コンクールが終了すると屋台はいよいよ列になって駅前に向かいます。その道中でも見事な囃子が披露されていました。

 

屋台の列を追って駅前に着くと、駅前は到着した時とは比べ物にならないほどの人で埋め尽くされていました。屋台が入場するたびに大きな歓声があがり、すべての屋台が出揃った時の盛り上がりははまさにお祭りのピークにふさわしい光景でした。

屋台同士の囃子の競演がしばらく行われた後、先ほどの「子供はやしコンクール」の審査結果が発表され、その後サンサが披露され、屋台の退場となります。(退場の際にも退場曲が披露されます。)屋台は一旦各町内に戻りますがその道中でも踊りのついたパレードが行われていました。

この後午前0時からの朝詰、桝形行事という夜通しの行事があるためそれまでお祭りは休憩となります。次の日も昼には町内自主行事、赤鳥居詰、郷土芸能の披露などまだまだ催しは続きすべが終わるのは21日の明朝とのことです。できれば全部見たかったのですが私は明日の予定もあるためここでおいとましました。

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今回は花輪ばやし本部のこのお祭りに60年以上欠かさず参加されているという海沼さんという方にお話を伺いました。(方言が強い方だったので回答はちょっと直しています。)

 

Q.このお祭りの特徴はどこだと思われますか?

ーお囃子の祭りだということですね。屋台行事の中の花輪ばやしだから。

パレードの中のお囃子はみんな一緒。で、町内ごとに奉納曲っていうのがあるのよ。

これは10町内みんな違う囃子をたたくのよ。この祭りは囃子がいっぱいあるので祇園とはまた違うところね。どこで披露するかは色々あるんだけどね。

 

Q.昔と今で変わったことはありますか?

ーやっぱり小さい子供が減ってるっていうことですね。大学生とかになるとなんとか戻ってくるんだけど、中学生とか高校生になるとばらばら散っていってしまうんです。でもやっぱり花輪ばやしには戻ってくる。義務教育みたいにお囃子は小さい頃(小中学校)から教えますからね。今日もお昼には小中学校のパレードがありました。そういうのもやってます。

 

Q.お囃子は結構長い期間準備されるんですか?

ーそうですね、もう6月くらいからは準備が始まります。

 

Q.他のお祭りでは県外からの参加者もいるみたいですがこの花輪ばやしはどうですか?

ーこの花輪ばやしも最近では県外の人も入れるようにしています。やっぱりみんなで楽しもうっていうのがあるので。くる人も自分から参加したいっていう気持ちが強いので体で覚えてくる人ばっかりですね。

 

Q.観光として役割は強いと感じますか?

ーやっぱり国の指定(国の重要無形民俗文化財に指定)になりましたのでね。駅前は特に観光のためにやっていますね、元々はなかったんですよ。20年くらい前からかな。昔は駅前には集まることはなくってこの通りだけだったんですよ。要するにここ(通り沿いの花輪神明社と幸稲荷神社)に神様を安置してるわけですから。だから駅前で待ってる人たちはこのパレードを見れないわけね、これがメインなのに。パレードについていけば各神社に拝んだり、各町内でお酒をいただいたりっていうのがちゃんと見れますよ。

 

Q.最後に、三味線や笛はベテランの方がやっているみたいですが次の世代にはどのように受け継がれているのですか?

ーこの地域では三味線や笛も小学校から教えているんですよ。そうしないと伝承されていかないから。そしてある程度おおきくなると芸人さんとしてその役を任されるように、舞台の上に上がるようになるんですね。

 

貴重なお話ありがとうございました。

 

全体的な感想としては、第一印象としては規模というか雰囲気が人がたくさんいて街中を屋台が練り歩くところが地元(京都)の祇園祭に似ているなと思いました。しかし話を聞いたり屋台を追っていくうちにこの地域の独特な雰囲気や熱を感じることができ観光としての要素はもちろんありますが古くから根付いてる地域性のようなものも短い時間でも十分感じることができました。おそらくそこら中から聞こえてくる秋田弁でのローカルトークやあまり変化を感じない街並みが初めてきた私にもそれを感じさせているのだと思います。

 

明日は遠野です。